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カテゴリ: 第2章 官邸

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09 靖国神社参拝問題 

記事提供 共同通信社


 ・経過
 現職首相による靖国神社参拝は、日本の独立回復を定めたサンフランシスコ平和条約調印直後の1951年10月、吉田茂首相が参拝し再開された。当時は春季か秋季の例大祭に合わせて参拝するケースが多かった。
 一方、日本遺族会などによる靖国神社国家護持運動を受け、自民党は69年から5年連続で、靖国神社を首相管轄の特殊法人として国営化する靖国神社の国家管理法案を国会に提出した。「憲法の政教分離原則に違反する」などの反31 官 邸対や軍国主義の復活につながるとの懸念から運動は終息。首相の公式参拝を実現する運動に転換していった。
 三木武夫首相は自民党内の求心力を高める狙いから75年に首相として初めて8月15日に参拝。その後、福田赳夫、鈴木善幸、中曽根康弘各首相が参拝し、首相の8月15日靖国参拝が慣例化した。公用車を使わないなど「私的参拝」としていた。
 戦後政治の総決算を掲げた中曽根首相は公式参拝に意欲を見せた。85年8月9日に藤波孝生官房長官の私的諮問機関が、宗教儀礼によらなければ首相らの公式参拝も憲法の政教分離に違反しないとの報告書を提出。こうした地ならしをした上で同月15日に「二礼二拍手一礼」しないなど、神道形式をとらない形で戦後初の公式参拝を行った。
 だが靖国神社が78年10月17日に東条英機元首相らA級戦犯を合祀(ごうし)していたことを共同通信がスクープ。公式参拝はA級戦犯合祀問題と相まって中国側の猛反発を招き、中曽根首相はその後、在任中の参拝を自粛した。昭和天皇は戦後、靖国神社に8回参拝したものの、75年11月を最後にA級戦犯が合祀されて以降は参拝していない。
 宮沢喜一首相は自民党総裁選で日本遺族会に首相在任中の靖国参拝を約束。靖国神社にも記録はないが、退陣後の2001年7月に共同通信社のインタビューで秘密裏に参拝したことを認めた。日本遺族会の会長だった橋本龍太郎首相は96年に自分の誕生日である7月29日に参拝したが、中韓両国などの批判を浴び、在任中の参拝を見送った。
 ・小泉〜民主党政権
 小泉純一郎首相は2001年4月の自民党総裁選で「首相に就任したら8月15日にいかなる批判があろうとも必ず参拝する」と明言。実際は中国などの反発に配慮し、01年は8月13日に現職首相として5年ぶり参拝した。その後、02年4月21日、03年1月14日、04年1月1日、05年10月17日に参拝。任期中最後となる06年は8月15日に参拝した。一方、中韓両国は反発、両国との政治関係は冷え込んだ。
 その後、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎各首相に加え、民主党政権の鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦各首相は中韓両国への配慮から、首相在任中の参拝を見送った。
 ・第2次安倍政権以降
 安倍首相は2012年9月の野党時代の自民党総裁選の際に「首相在任中に靖国参拝できなかったのは痛恨の極みだ」と表明。同年10月17 日に自民党総裁として参拝した。
 首相就任後も「国のために命をささげた英霊に対し国のリーダーが尊崇の念を表すことは当然で、各国のリーダーも行っている。第1次安倍内閣で参拝できなかったのは痛恨の極みだった」(13年2月7日の衆院予算委員会)と意欲は隠さなかった。
 参拝を決行したのは、第2次安倍政権発足からちょうど1年の13年12月26日。「中国、韓国の人の気持ちを傷つける考えは毛頭ない」と説明したものの、中韓両国は抗議し、米政府は「近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに米政府は失望している」との声明を発表した。
 ・新たな追悼施設構想
 中韓両国などは東京裁判によるA級戦犯が靖国神社に合祀されている点を問題視。靖国神社はA級戦犯の分祀を拒否し、政府は政教分離の原則から強制することはできないとの立場で対応に苦慮してきた。このため新たな国立追悼施設構想が浮上したこともあったが、議論は盛り上がりを欠いている。
 小泉首相が2001年8月13日の最初の参拝の際に出した談話で「内外の人々がわだかまりなく追悼の誠をささげるにはどのようにすればよいか議論する必要がある」と表明したのがきっかけだ。これを受け福田康夫官房長官の私的諮問機関が発足。02年12月に「国を挙げて追悼・平和祈念を行うための国立の無宗教の恒久的施設が必要」とする報告書をまとめた。自民党内から「靖国神社を形骸化させる」との反発が噴出し、棚上げ状態になった。公明党は新たな国立追悼施設の設置に意欲を示しているものの、安倍首相は「(靖国神社は)追悼の中心的な施設で、遺族の気持ちもそうだ」と否定的な立場を取っている。